| ジョン・コーンフォード/John Cornford |
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1985年夏に公開された映画『アナザー・カントリー』。ほとんどの人が主人公役のルパート・エヴェレットに注目する中、私は主人公の親友で共産主義者のトミー・ジャドと、彼を演じた俳優コリン・ファースに夢中になってしまいました。第一次大戦で戦死した卒業生の追悼式の最中に軽蔑の笑いを浮かべていたジャド。「親に高い学費を払わせてスポーツばかりしている」パブリック・スクールで、深夜寮生が寝静まった後にひとり資本論を読み、小さなレーニン像を持ち歩く変人ジャド。彼のモデルとなったのがスペイン内戦で21歳の若さで戦死したジョン・コーンフォードでした。 その後コリン・ファースは色〜んな役を演じて私を一喜一憂させましたが、彼の出演作品でおすすめなのは映画『ひと月の夏』とTVドラマ『高慢と偏見』です。他にも多数出演してますが、コリン・ファンとしては役柄がイマイチだったりしてどうも・・・。『イングリッシュ・ペイシェント』『恋に落ちたシェイクスピア』などのメジャー作品にも出ていますので(気づかずに)見たことがある人も多いでしょう。最新作は『ブリジット・ジョーンズの日記』。スリムになっててよかったけれど、彼ももう40代なんですよね〜。 とにかく、しばらくはジャドとコリンとジョンが私の中でごちゃごちゃになっていましたが、少しずつジョン・コーンフォードやもう一人のモデルのエズモンド・ロミリー、そしてスペイン内戦について調べていくうちに、ようやくジョンが一人の人物となり目の前に現れてきました。でもやはり、モデルになっただけあって似ています。ジョンもストウ校(パブリック・スクール)の教育方針や校則に批判的で、全校生徒に入隊を義務づけられていた将校訓練隊に反発したりしています。また、ストウにいてもお金と時間の無駄だから退学させて欲しいと両親に何度も手紙を書いています。 「ぼくがストウに反対する理由は、ここでは必要以上に莫大な時間を授業についやさなければならない上に、毎日の日程がきまっていて、あまった時間を自由に使えないのです。たとえば、最低週三日、たいていはもっと、最低二時間をラグビーについやさなければならないのですが、その間はゲームに集中する以外に何もできませんから、相当な時間の浪費です。」「ここでは10時就寝のきまりで、つごう九時間ベッドに入っていることになりますが、ぼくは睡眠はほんの少しで足りるほうですから、毎日約二時間、まったく何もしないで、眠りさえしないで、むだに過ごさねばなりません。」(母親宛1931年9月ストウ発)J・ガラッシ編『武器を理解せよ 傷を理解せよ』小野協一訳、未来社、1983 『アナザー・カントリー』ではクリケットでしたっけ。ジョンは同じ手紙で、夏学期なら早朝からベッドで本も読めるけれど今学期はそれもできない、とも訴えています。ジャドが「懐中電灯をとりあげられた」と怒っていたシーンはこういう手紙がもとになっていたのかもしれませんね。結局ジョンはこの翌年、ケンブリッジ大学トリニティ・コレッジの奨学生試験に合格し、両親の反対をおし切ってストウを退学。ケンブリッジ入学までの期間、ロンドン大学で学ぶことを選んだのです。 名前 ルパート・ジョン・コーンフォード(Rupert John Cornford) コーンフォード夫妻と親交のあった詩人ルパート・ブルック(Rupert Brooke)にちなんで名づけられた 生年&没年月日 1915年12月27日ケンブリッジにて生まれる 1936年12月27日もしくは28日にスペイン・アンダルシア地方のロペラ村で戦死 家族 父: フランシス・マクドナルド・コーンフォード(1874-1943) ケンブリッジ大トリニティ・カレッジの古典学講師 母: フランセス・クロフツ・コーンフォード(1886-1960) ジョージ王朝派詩人 進化論のダーウィンの孫 姉: ヘレナ・ダーウィン・コーンフォード(1914年生まれ) 弟: クリストファー・フランシス・コーンフォード(1917年生まれ) 弟: ヒュー・ワーズワース・コーンフォード(1921年生まれ) 妹: ルース・クレア・コーンフォード(1924年生まれ) 息子: ジェイムズ(1935年生まれ) 結婚せずに別れた恋人レイ・ピーターズとの子供 学歴 1925年 ( 9歳)サセックス州コプソーン校入学 1929年10月(13歳)バッキンガム州ストウ校入学 1932年12月(16歳)ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの奨学生試験合格 (奨学金100ポンド/年) ストウ校退学 1933年 1月(17歳)ロンドン大学経済学部に二学期間登録 10月 トリニティ・コレッジに特例(18歳未満)入学 歴史学専攻 1934年 (18歳)歴史学優等卒業試験第一部の一等優等の成績を得る 1936年 6月(20歳)歴史学特級優等の成績を得る ダービー伯研究奨学金を与えられる 大学院進学 10月 スペイン内戦の義勇兵に志願したため奨学金を辞退 活動 もともと政治に関心を持っていたが、1931年(15歳)8月のマクドナルド挙国内閣誕生と10月の総選挙での労働党の大敗が政治への目覚めのきっかけとなった。 1933年 (17歳)青年共産主義者同盟機関紙「ヤング・ワーカー」副編集長 全国学生協会連盟書記長 同機関紙「スチューデント・ヴァンガード」編集長 1934年 (18歳)共産党系と労働党系に分裂していた社会主義者協会を再統合 同協会副委員長 1935年 3月(19歳)青年共産主義者同盟を去り、正式にイギリス共産党員に 上記以外にも様々な役職につき、多くの機関紙、雑誌等に評論や詩を書いた。「スチューデント・ヴァンガード」でのジュリアン・ベル(1908-1937)との芸術論争は有名。 スペインでの行動 1936年8月6日〜9月14日 POUM(マルクス主義統一労働者党)民兵隊 1936年10月15日頃〜12月27日もしくは28日 第十四国際旅団フランス人大隊イギリス人中隊など 参考文献: ガラッシ編『武器を理解せよ 傷を理解せよ』小野協一訳、未来社、1983 川成洋『青春のスペイン戦争』中央公論社、1985 ※参考文献ページ『Library』 2001年8月25日にこのページを作って以来、一度も更新したことがありませんでした。もうずっとほったらかしで・・・。今回ほんの少しだけ書き直して、そしてジョンの手紙の一部を入れてみました。コリン・ファースの新作『ラブ・アクチュアリー』の日本公開が近いので、新しいファンが生まれる→旧作を探して鑑賞する→『アナザー・カントリー』のトミー・ジャドに興味を持つ、のパターンも(そんな人ほとんどいないだろうけど)あるかもしれないと思い、メンテナンスをしたわけです。現在のコリンもいいですが、昔の作品もいいですよ!『ひと月の夏』、DVDで復活してほしいですねぇ。 (2004年2月2日) |