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| 【4】 日本フォスター・プラン協会 |
世界中で行われている武力攻撃に反対するデモの様子が毎日TVや新聞で取り上げられています。またネット上でも様々な呼びかけを目にします。 でもそれらをいつも「見ているだけ」「考えるだけ」で、行動にうつすのにとても時間がかかって結局何もしない。席を譲ろうと思いながらなかなか声がかけられず、そのまま、電車から降りるその人を見送ってしまったような。いつもそんな感じです。 その動きの鈍い私が、めずらしく行動を起こしたのが1996年の夏。新聞の広告を見て日本フォスター・プラン協会に電話、資料を送ってもらい、チャイルドへの援助申し込みをしました。こちらからの希望はアジアの子ども、とだけ。紹介されたチャイルドは、セイロンとも呼ばれた、紅茶で有名なスリランカの11歳の男の子でした。 スリランカ・・・。希望欄にアジアと書いたのは、アフリカや南米は私にとってあまりに遠くて文通しているという実感が湧くまで時間がかかりそう、と思ったからなのですが、実際それはアジアでも同じことでした。送られてきた資料を読んで初めて知ったその国の歴史と現在(多くの宗教や文化が混在する多民族国家で、民族と言語の違いからシンハラ人とタミル人が対立し内戦が続いている)。アジアで内戦なんて、カンボジアかアフガニスタンくらいしか知らなかった。 しかし、行動ははやくても不精な性格は変わらなかったようで。スタート時点で既に「私のような無知な者が、援助なんておこがましい」という葛藤もあり、チャイルドとの文通は早くも2年目あたりから私が受け取るばかりで、文通というにはまったくふさわしくない状態になってしまいました。協会から届く封筒を見るたびに「書かなければ・・・。」と思ってはいたのですが。情けない事にその状態は改善させる事なく、彼の社会的な成人のため近々プラン終了となります。最後くらい手紙を書かねば・・・でももう時間ないし・・・と思ってる時間があるなら書け!と。相変わらずです。 1996年当時は残業が多く、仕事帰りに同僚と飲みに行く機会が多かったので、5千円/月(※)という援助金は、飲みに行くのを1回減らせばいいだけ、と考えていました。実際その通りで、金銭的な負担を感じる事はほとんどなく、会社を辞めてからしばらく無収入だった時期だけは一瞬どうしようかと迷いましたが、不精者効果(手続きの連絡がめんどくさい)もあって、彼の卒業までペアレントであり続けることができました。 行動にうつす以前は「何もしない/しようとしない」自分に苛立ち、一歩踏み出すと今度は「私なんかが」という思い切りの悪さに取りつかれてしまう。でも数年前、同世代のペアレントの方々とお会いする機会がありましたが、私とまったく同じ状態の人もいれば、確固たる信念を持って、ペアレントとしてだけでなく手紙の翻訳ボランティアをしている人もいました。何が良いというわけではないし、良くなるように努力しましょう、と、昔だったら「嫌な大人ー!」とちょっと軽蔑しそうな解決策に落ち着き、そしてそれが決して嫌ではなかった。10年かかって一歩進めた、そのことが嬉しいと思えたのだからたいした進歩だと自分では思います。 あの時、なぜフォスター・プランを選んだのだろう?この謎は公式サイト(http://www.plan-japan.org/home/)を見たらすぐに解けました。この協会の始まりが、スペイン内戦による戦争孤児たちへの支援だったということを思い出したのです。「スペイン内戦」。なんて単純な奴。 ※現在フォスタープランは5,000円、4,000円、3,000円から選択できます。また毎月1,000円からのマンスリー・サポーターという支援方法もあります。 (2003/02/28) |
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