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| 【6】 浦和レッズ −福田正博引退試合− |
2003年6月15日、Mr. Reds、福田正博の引退試合に行ってきました。 1999年からの新米サポの私にとって、福田はレッズの9番の選手、それ以上でもそれ以下でもなかったんですが。数日前から気持ちがどんどん沈んでいき、当日の朝はもうため息ばかり。少し前までは、久しぶりにペトロが見られる、とか、福永来るのかなぁ、とか、結構楽しみにしていたというのに(福永は所属チームの合宿のため不参加)。 スタジアムで買ったマッチデープログラムを読んでいたら、福田に関する些細な出来事を思い出しまして、せっかく思い出したんだから忘れたくないなぁと思い、いくつか書き出してみることにしました。 千葉に住んでいた頃は、武蔵野線を使って浦和へ通っていました。始発の電車に乗って浦和駅へ向かい、そこから駒場スタジアムまで徒歩20分。最初のころは道順がよくわからなくて、見知らぬ赤い人たちの後について歩きました。土曜の早朝、朝靄の浦和を歩く赤い人たちの背中はほとんどが「9」。ひとりで電車を乗り継いでやってきた新米サポには頼もしくありがたい目印でした。 初めて福田のゴールをナマで見たのは1999年9月11日、カシマスタジアム。確か気温が36度くらい、おまけに2階席増設の工事中で屋根がなくて、死ぬかと思うほどの灼熱地獄。試合が始まった頃には既に疲労困憊だった根性なしの私を、一瞬で生き返らせてくれたゴールでした。この日は勤め先が持っていた鹿スタの年間シートのチケットをもらっての観戦。だから座席はメインスタンドのホーム寄り。ピッチにも近くてジーコ総監督の顔のしわまで肉眼ではっきり見えるという、360度鹿島な席で、レッズのレプリカを着た私は小さく「GET GOAL FUKUDA」をやってました(←今思うとすごい神経の持ち主)。福田が交代で下がらなければ勝てたんじゃないかなぁ。私が初めて悔し泣きした試合でした。 同じように事情により遠征先でホーム側に座ったときのこと。2001年6月16日、エスパルスサポーターのTNさんとレッズサポの友人ら計4名で、日本平のバックスタンドホーム寄りに席を確保、「こいつらなんでこんなとこいんだよ?」的視線を感じながら試合開始を待っていました。すぐ後ろの席には私と同世代か少し上くらいの女性たち。レッズのスタメン発表時にはいちいち「知らな〜い」「聞いたことなーい」とゆるいブーイングをしていた彼女たちはしかし、その発表が終わったとたん「なんで?なんで福田出ないわけぇ!?」と本気で怒ってらっしゃいました。この日福田はサブで、あとでちゃんと紹介されたし出場もしたんですけど、オレンジな集団の中で息を潜めていた私たちは一瞬やわらぎ、福田はやっぱ特別なんだね、と誇らしかったです。 スタジアムに来る人だけがサポーターやファンではないと実感したときのこと。たしか2000年の秋。久しぶりに会った友人がふと、「福田くんはどうして最近出てないの?」と聞いてきて、ものすごく驚きました。サッカーに興味があるとは思えない彼女に「なんでそんなこと知ってるの!?」と聞き返すと、レッズを「昔から応援してたよ」。そういえばJリーグが始まったころ、彼女が「レッズやっと勝ったわ・・・」と苦笑いしながら言ったことがありました。イメージとしてはヴェルディかマリノスあたりのにわかファンになりそうな感じの華やかな女の子だったのですが、越谷出身というのが大きく作用したようで。そしてそれはブームでもなんでもなく、数年後にも、TV中継のほとんどないJ2の試合結果をチェックするほどのものだったのです。スタジアムの外にもクラブや選手を応援している人たちがいる。そんな当たり前のことを「福田くん」の話は実感させてくれました。 何万、何十万もの人たちの期待を背負って戦い続けてきた福田。レッズサポが寄せる大きな期待に、100%はこたえられなくても、裏切ることは決してなかった福田に感謝の気持ちでいっぱいです。 (2003/06/26) |
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